「脳の世紀」シンポジウムより講演要旨

「宇宙から脳へ」

小田稔 名誉教授

 第四回「脳の世紀」シンポジウムが十月二日、国立教育会館・虎ノ門ホールを会場にして行われた。これは「脳の世紀推進会議」(代表・伊藤正雄)が主催して行われているもので、文部省の脳関連重点領域研究の代表者の同志的な集まりとして、二十一世紀の自然科学の最も重要な課題と目される脳科学の重要性を社会一般に周知し、脳研究推進施策の実現を促進するために行われている。プログラムは、「脳を知る」「脳を創る」「脳を守る」という三本柱が設けられ、それぞれ二名ずつ発表を行った。「脳を知る」のセッションでは、「脳と遺伝子」と題して本学理学部の堀田凱樹教授、「脳を創る」のセッションでは「脳とカオス」と題して本学工学部の合原一幸助教授の発表があった。ここでは、特別講演を行った、小田稔名誉教授の講演の内容を要約して紹介する。

脳を客観的に 観測できるか

 私は、職人的な物理屋であり、この分野では全く素人であります。しかし、伊藤正雄先生や松本元先生などに出会い、強い印象を受けました。

 ここでは、私はどんな夢をもっているか、ということをご披露したいと思います。物理屋は、脳を数理科学的アプローチから理解しようとしています。しかし、私としては、脳の働き、心の働きなど心理学や精神分析学対象であったようなものを、客観的、実験物理学的な観測の対象にできないかな、ということを考えています。

決定論の時代 からカオスへ

 はじめに、物理学の歴史を簡単に紹介しましょう。

 十八世紀から十九世紀にかけて、物理学は決定論の時期です。決定論の元祖はニュートンであります。そして、ニュートンの力学を徹底的に追い詰めたのがラプラスです。決定論を象徴的に表わしているのが「あみだくじ」であります。つまり最初が決まれば、終わりは必ずユニークに決まっていきます。この決定論が十八世紀を風靡しました。

 しかし、二十世紀に入ると、今度は量子力学が出てきます。これは、さきほどの「あみだくじ」の話で考えてみると、「あみだ」のとちゅうで、サイコロを振らなくてはいけなくなります。つまり、これは決定論的ではなく、確率論的だということです。私は、これを「ネオ決定論」と呼んでいますが、この量子力学が、今世紀初頭から半ばまで風靡したわけです。

 こういう時代に物理学の学生として訓練を受けた若い人たちの世代は、「真理は単純なものこそ貴い」と教えられたでしょう。しかし、その考えは今から二十年ほど前から少しずつ揺さぶられてきました。非線形(ノンリニア)や、自立分散型の複雑系、そして「カオス」の登場です。このような新しい、自然現象・自然の法則性がでてきました。「カオス」とは、原因がほとんど同じだが結論が全然違う場合がある、ということです。

 さらにもっと困ったことがでてきたのは、脳と心、という問題です。特に、脳は完全に自立分散型で、複雑、ノンリニアなものであるということです。

物理をつくる 時感性が大切

 さて、そのような物理の話を前置きにして、私の夢を話しましょう。私の夢は、脳や心の動きを、実験物理屋が扱えるような形に、観測・測定できるか、ということであります。

観測の手段は発達
可能性は幾つかありそう

 たとえば、言葉・論理・様々な感情というようなものを考えた時に、何かそこに物理現象が起きていないだろうか、ということです。幸い、宇宙物理、物性物理など観測の仕方が発達してきています。この観測手段を使って、心や脳の動きなどによって起こる物理現象を観測できないでしょうか。

 ところで、しばしば物理屋さんは、理屈っぽい、理性でつくっている人種である、と誤解して考えている人もいるでしょう。たしかに教える時は理性ですが、物理をつくるときは感性でつくります。理屈も大切ですが、感性がより大切であります。ここで二人の天才を挙げましょう。

 一人はハイゼルベルグ、もう一人はボーアです。二人とも、二十世紀初頭の量子力学をつくりあげた人です。ハイゼルベルグは、山にかこまれた環境で育った人です。ボーアは、デンマークの黒海の水平線を目の前にして育ちました。その環境で育ったということが、実はその後の二人のアプローチのしかたに非常に大きな影響を与えたのです。

 また、湯川先生や朝永先生の物理学をみてみると、この二人が子供のころに育った環境と、その仕事の中身も無縁ではないと思います。とにかく「理屈だけではないのだ」、ということが言いたいのです。

 あるいは、もう二人の天才、アインシュタインとラザフォードの話をしましょう。アインシュタインと同程度、またはそれ以上に物理学の流れを変えていったのはラザフォードではないでしょうか。

 この二人、何か物を考えて行くときに、“もと”に“もと”に探って行くのがアインシュタイン、“外”へ“外”へ向かっていくのがラザフォードでした。

 ここにはいないと思いますが、物理は無味乾燥だというのが一般的人の考えでしょう。しかし、物理をつくっている時は、感性であり、脳の働き、心の動きであります。これが基本的な重要性をもっています。

近代テレパシ ーは可能か?

 私の夢は、人間の心の動きが、脳の中でどんな物理現象を起こしているのか、それをどのように観測するのかということです。MITの人とも話をするのですが、そういうことができるとすれば、「近代科学テレパシー」というものができないだろうか、ということです。ちょっと冗談みたいな話ですが…。

 というのは、我々が物を考えて、人に伝えるときには、キーボードを叩いたり、電話をしたりして信号を送ります。それに対して、手段を使わずに信号を人間の脳に伝えられないか、ということを研究しているのです。

 さて、脳の中で起こっている我々の心の動き、あるいは知的な動きで起こっている物理現象を観測することを考えてみた場合、ひょっとしたら動物の場合にはもっといろいろと実験・研究できるかなと思うのです。

 母親の胎内で育ち、脳が脳らしくなるとはどういうことなのだろうか? 人間で実験するのは難しいが、動物ならできるように思います。

 それから、有名な「刷り込み」という現象。卵から生まれたばかりの鳥が、最初にみたものを母親と思うようなことですが、じかに脳の中でどういう現象が起きているかということを物理的に観測することができれば、面白いですね。

 さらに言葉の問題。春、秋の鴬はどのように言葉を覚えるのでしょうか。脳の中における現象を直接観測できれば何かわかると思います。

脳で起きる物 理現象の観測

 さて、心や脳を物理現象でおきかえてみる時、そもそも脳の中で起きる物理現象は、脳全体で考えなければ、いけないのか、それともローカルなのかを考えてみました。グローバルかローカルか、などということは、もうすでに決着がついているかもしれませんね。

 私は、猿を使った研究も見て衝撃をうけました。猿にいろいろな形を見せ、形を少しずつ変えた時、脳がどのくらい微妙に変化したか、というものです。その話を聞き、実際に見て、やはり、脳・心の動きはローカルな活動なのだ、と思いました。

 脳のどこかの部位がエキサイトしたときに、それをどうやってみるか。そもそも何が起きているのか。その活動している物理現象を、きちんと「物理的」に見ることができたら、また、それと脳の活動を見れば、素人の考えでも面白いのではないでしょうか。

 私は、多くの友人に尋ね、「どういうことが起こっているのですかね」と聞いてみました。いろいろな人に聞いてみると、活動部位は絶妙に変化するとか、ヘモグロビンが酸化・還元するんだ、などという話を聞くのです。物理屋としては、それを「物理的」に見る方法はなんとかないか、ということを考えています。

 いろいろあると思います。たとえば、活性化した部位の血管にヨウドを注入して、その影を測定するなどしてみたらどうでしょうか。また、加速器などを使っても観測できるようです。ここでは原理の細かい説明はやめますが、いろいろ可能性はありそうです。

(文責編集部)

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