第26代総長に蓮見重彦氏

4回の投票の末選出

 本学は二月七日、吉川弘之総長の任期満了に伴う総長選挙を行い、評論家としても知られる蓮實重彦(はすみ・しげひこ)副学長を、第二十六代総長に選出した。就任は四月一日で、任期は四年。大学あげてのプロジェクトである柏キャンパス移転など大学改革の最前線にある中、新総長の手腕が注目される。

 総長選は、蓮實副学長、鈴木昭憲副学長、石井紫郎名誉教授、西尾勝法法学政治学研究科教授、矢崎義雄医学部長の五人で争われた。有権者は教授や助教授、専任講師ら約二千人。三回の投票でも決まらず、上位二人の決選投票の結果、蓮實副学長が鈴木副学長を百二十五票上回り次期総長に選ばれた。

 蓮實副学長は六十歳。昭和三十五年(一九六〇)に本学文学部仏文科を卒業。フランス留学後、教養学部助教授などを経て昭和六三年(八八)から教授に。平成五年(九三)二月から二年間教養学部長。平成七年(九五)から副学長を務めた。

 専門は表象文化論。フランス現代思想の紹介をはじめとする、文芸・映画分野での評論活動でも知られる。「反=日本語論」「表層批評宣言」など著書も多く、独特の文体が若手評論家に影響を与えた。

 東大教授としてよりも、むしろ文芸・映画評論家としての顔が知られている。フーコー、バルトらフランスの現代思想をいち早く日本に紹介する一方で、映画誌「リュミエール」の編集長を務めるなど、大学の枠にとどまらない活動を続けている。

 就任内定の記者会見で「抱負は?」との質問に「私は抱負を持つことを禁じている」、「やりたいと思うことはない。やらざるを得ないのはたくさんあるだろう」と語った。今後東大をどのように引っ張っていくのか、その手腕が問われるところである。

X線の理論確立

実際の観測や測定と一致

井野正三教授

 本学理学部の井野正三教授が、エックス線や屈折などの現象を正確に説明できる理論を確立した。極めて浅い角度で入射したエックス線は、物質を透過せずに全反射することが知られているが、実験データに合致する理論がこれまでなかった。教科書にもこの分野の記述はなく、エックス線工学で抜け落ちていた部分を補完できそうだという。

 一八九五年に発見されたエックス線は、光と同様に扱うことができ、ほぼ完成した学問だといえる。ただ、波長は極めて短いことや、屈折率が一よりわずかに小さいなど光とは違った性質も持っている。このため固体表面すれすれで起きる反射や屈折、吸収などの振る舞いが光と異なり、理論的にも詳しく解明されていなかった。

 井野教授は、三次方程式を使った数学的な解法を完成、実際の観測や測定とよく一致する理論を算出できることがわかったという。

歴史は語る

東京大学120周年特集(4)

正門

 東大で有名な門として知られているのは、「正門」と「赤門」である。今回は「正門」の歴史を紹介したい。

 本郷キャンパスは、江戸時代には加賀藩の江戸屋敷だった所に建てられている。この加賀藩邸の“御成門”の近い位置に設けられたのが「正門」であった。実は、明治末までは「仮正門」と呼ばれていたのである。

 本郷キャンパスの西側の境界を形成するのは本郷通りだ。法文教室(明治十七年完成)や図書館(明治二十五年完成)を初め、工科大学を含む一帯は、本郷通りを基準線としてこれに平行、あるいは直角に建物が置かれている。

 ただ、本郷通りに面した部分には東西二十間ほど突出した部分があって、市区改正による本郷通りの整備を待っていた。そのため正門は「仮正門」として据え置かれていたのである。

 この「仮正門」は、明治二十八年頃わずかながら北に移動している。キャンパス北西部分に建つ建築群が密になって、配置上この一帯の計画性が要求されるようになったからだ。明治二十六年、「仮正門」の近くに理科大学博物学・動物学・地質学教室の一棟が完成し、それに伴って法文教室と博物学教室との中間に大きな東西道路を通し、その辺りを「仮正門」の位置に定めたのであった。

 「仮正門」の移動後の位置が現在の「正門」の位置を確定したのであるが、この「仮正門」から放射状の道を設けて、図書館、あるいは工科大学に通ずるようにした。また、図書館・工科大学との間を南北道で結んだ。こうしてこの辺りの景観は一挙に整えられることとなった。

 やがて、本郷通りが整備されるにつれ、明治四十三年十一月には西側の境界線が確定。それによって明治四十五年六月には「仮正門」に替わって「正門」が造られた。

 「正門」を造ったときの総長は濱尾新(はまおあらた)であった。濱尾総長は東京市内の邸宅を見て歩き、その中で赤坂見附にあった閑院宮廷という屋敷の門がたいへん気に入り、これをもとに現在の正門を造らせたという。

 「正門」は明治時代の東京大学の面影を伝える貴重な建造物である。

参考文献:東京大学百年史、東京大学本郷キャンパスの百年


淡青手帳

  ヘールボップ彗星が地球に接近しつつある。今世紀最後の大彗星、百武彗星以上に大きく明るいと言われる彗星だ。これは、一九九五年七月二十三日、アメリカのアマチュア天文家、アラン・ヘールとトマス・ボップの二人が発見したもの。南の空「いて座」の中にこの彗星を見つけたのである。今年の四月、太陽に接近し、〇〜一等星になると考えられている

ところで、昔の西洋では、彗星は不吉な現象の予兆と考えられていた。地球に災いをもたらすものだと言われたのだ。だが、近代科学の発展は彗星の正体を明らかにした。太陽風に流されて尾を引く、直径数`bから数十`bの小天体であることをつきとめたのだ

小天体といえども、もし、これが地球に衝突でもすれば、地球上に大異変が起こることは確実だ。恐竜が滅びたのも、小天体の落下が原因だったという説が実証づけられつつもある。そう考えると、小天体の接近は“偶然”のできごとであっても、われわれを含む地球上の生命にとって極めて大きな“意味”をもつできごとである、と言えるだろう。だから、彗星の接近を「神」の意志の表れだとする昔の人々の発想も、あながちバカにすることはできないのかもしれない

今回のヘールボップ彗星は一体どんなメッセージを人類に与えにきたのだろうか。この世紀末の混沌をこえて、人類が新しい時代へ進んでほしいという、宇宙の意志が込められているように思える。


東大新報