淡青手帳


 「神戸市の殺人事件が起きた時、日本中の親たちは自分の子供がいつ被害者になるかと心配した。
しかしその容疑者が逮捕された時、日本中の親たちは自分の子供がいつ加害者になるかと心配するようになった」。
これは神戸市の殺人事件を受けて、あるアメリカの新聞が論評した内容である。
実に穿った論評である
日本のマスコミもこの事件の後、次々と国内の中学三年生を対象にアンケート調査を行った。
その結果「自分も人を殺したいと思ったことがある」、「容疑者の少年の気持ちがよく分かる」という回答が驚くほど多かった
なぜそのような思いを抱くのだろうか。それは自分の存在意義を子供たちが見失っているからである。
そして他人を尊重すること、愛することが欠如しているからである。
今の青少年の犯罪の動機を調べていくと、「気分がむしゃくしゃしていた」とか「鬱憤を晴らしたかった」、
あるいは「自分の存在をアピールしたかった」という単純なものが多い。
しかし彼らにとっては単純で済まされる問題ではない。
そこまで彼らは追いつめられているのだ
その根本的な原因は、やはり家庭にあるのではないだろうか。
両親から愛を十分受けて育ってきた子供は、他人を愛することを覚え、自分が必要な存在であると感じる。
両親から認められて育った子供は、自分の存在意義を知り、他人を尊重する子供になるはずである。
「三つ子の魂百まで」という言葉どおり、幼児期に親から受けた愛と尊重の程度によって、その子の情緒が決定されて行くのだ
家庭における希薄な親子関係こそが、自分自身と他人を愛し認めることができない少年少女を生んでしまう主要な原因ではないだろうか。
 

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