ビッグOB
スペシャルインタビュー

 混迷を続ける日本経済。金融機関の不祥事も相次ぐ中で、不況からの抜け道は不透明なままである。そこで、大日本インキ化学工業株式会社代表取締役会長の高橋武光氏に、東大時代の思い出などと合わせて、国際化時代における日本経済の課題と展望、そして次代を担う東大生へのメッセージを語ってもらった。

大日本インキ化学工業株式会社
代表取締役会長

高橋 武光 氏(S24・工卒)

「歩の心を知れ」 まず下積みから
―多様な価値観があることを知るべき―

(1)学生時代の思い出

機械・航空から応用化学へ

 昭和21年に東大の応用化学科に入って、24年に卒業しました。戦争の真っ只中にあった20年は、横浜国大の前身の横浜工専(旧制)にいたんです。終戦のときは、駒場にあった東大の航空研究所で仕事をやっていました。その前が都立工芸(旧制)の精密機械科の卒業です。私が小学2年のときに親父が亡くなったので、なるべく早く働かなければならないと思ったからです。そのあと横浜工専(旧制)の航空工学科に入って、卒業は終戦の時でした。当時、航空科の卒業生なんかどこも雇ってくれないんですよ。戦争に負けたわけですからね。飛行機も当分は回復する見込みもないし、全部禁止になっちゃっていましたからね。それで考えたんですけど、機械やって航空やったから今度どうせやるなら他のことをと思って、それで応用化学科を受けたんです。

どうせなら全然知らないことを

高橋 武光 氏
 ――どうして、化学を勉強しようと思ったのですか?

 終戦の時のインフレというのはすごいんですよ。想像できないかもしれないけどね。今日の値段と明日の値段がぜんぜん違うんですね。たとえば、りんごは1円ぐらいで売っていたものが、たちまち一個100円になっちゃうとかね。今の100円とはぜんぜん違うんですよ。戦時中、100円の月給をもらっていた人は高いほうでしたから。それがたちまち月給も相場も100円のものが千円になり1万円になるというインフレですからね。そこで考えたんですけど、一番目減りしないものは何かというと、勉強して頭にいれることだと思いましてね。物だとだんだん価値が変わってしまいますから。お金なんかも当てにならないし。だから全財産売り払って月謝にしようと思ったんですよ。
 それで何を勉強しようかと思ったんだけど、機械のほうも航空機のほうも勉強したでしょ。だから図面書いたりすることはできたんですよ。実際、戦争中私は学生だったけど、ずっと戦事研究員だったから、海軍の委託だったと思うけど、教授のもとでヘリコプター試作機の設計などもやってました。だから今さら大学に行って機械の設計やってもたいして変わらないだろうと思って、どうせ月謝払うんならぜんぜん知らないことをやるのが一番有効ですからね。それでぜんぜん知らない化学を選んだんです。
 化学は小学校の理科でしかやったことがなくて、まるっきり知らないで受けたんです。そしたら受かっちゃった。その時ちょうど口頭諮問で応用化学の先生方が6、7人おられたんですよ。その時聞かれたんだけど、君は機械やって航空やって、どうして化学をやるんだってね。建築だとか機械とか電気だとかそっちのほうで勉強したほうがいいんじゃないかと。「だけど先生、ずっとそのようなことは勉強してきたんですけど、どうせ大学に行って月謝払うんなら、やっぱり知らないことを教わらないと意味がないと思います」と言ったんです。そういう考え方もあるかねえ、と言って、入れてくれましたけどね。だけど、それは会社に入ってから非常に役に立ちます。広く知ってますからね。だから、私は雑学を勧めますね。社会に出るんならね。

復興に強い使命感があった

 ――東大では最初の2年間、幅広く勉強しようということで教養学部制度ができているんですけど、実際学生はあまり勉強していないんですが…。

 何を勉強していいか分からないんでしょうね。東京大空襲の時、私はずっと東京にいました。食べ物もなかった。そういった状態の中で、なぜ生まれてきて、なぜ勉強するのか考える。しかも9月に航空隊への入隊が決まっていたし、特攻隊ですぐに飛びこまなくてはいけないかもしれない。そういう状態にあったわけですね。1、2年上の先輩というのはほとんど戦死しているわけでね。
 学生時代がそんな状態ですから。終戦になっていよいよ勉強できるということになって復学したわけなんです。
 これは皆さんには分からないかもしれないけど、全部が焼け野原になってこの国はどうなるのかという感覚と、これで初めて本を読めるし勉強もできるかなという、そういう環境なわけでしょう。だから今の学生とはぜんぜん感覚が違うと私は思いますね。だから、生きているという喜びというものを感じたし、復興に対する何か強い使命感があったと思います。
 3年のときには、学生と中学の教師とを掛け持っちゃったんですよ。浅草のある中学で先生をしていまして。それが終わるとすぐに大学の実験室に行ってね。忙しかったんですよ。中学生を何クラスか持ってやっていたんですけどね。終戦後の中学生というのはあまり勉強できなかったね。だから私にも教師が務まったんですよ(笑)。

(2)国際化時代における日本経済の課題と展望

日本は相当な力を持っている

 今、一番慌てていることは、グローバリゼーションの世界のあり方に対して、日本が合っていないということ。合わせなくちゃいかんと、金融機関は特に典型的な例ですよね。今の経済状況は、特にここ数年は、見方を二つに区別しなければならないと私は考えているんです。一つは本来の産業、ものの流れ。それともう一つは、金融機関の投資家やお金を持っている人たちの投資の繰り回し。その二つの流れがごっちゃになっているんです。
 私は日本というのは相当力があると思うんです。特にメーカーの力というのはね。焼け野原で何にもなくなった状態から、くぐりぬけて今のような世の中まで持ってきたわけですからね。それから、これはメーカーの立場から言いますと、技術的な面でも日本というのは相当な力を持っているし、リーダーシップも持っています。だから、たとえ内閣が経済政策を失敗しようと、そんなことで世界から非難されるような問題ではないんです。今までトップだったんだからね。日本というのは異様に力があるんです。
 銀行なんかでも、土地の値段がどんどん上がるから、それに対して土地を買う人には融資しますよ、という融資合戦みたいのがあったでしょう。そんなことやってたら金融機関がつぶれるよ、なんて言っていたんだけど、まさにその通りになった。そうじゃなくて、本来は、企業に金を出すんであれば、その企業が創ってきた、例えば商権であるとか、技術力であるとか、成長力だとかそういうものを評価して金を貸さなくてはだめなんですよ。担保があるかないかで選別していったら、おかしくなっちゃうんですね。基本的にはギャンブル的なお金の流れと、そうじゃない実質的に必要なお金とがあるんですね。そういうものが区別できているような世の中にしていかないとだめだと思いますね。まあ、難しいかもしれないですけど。お金に印があるわけでもないし。

(3)東大生へのメッセージ

趣味を通じて幅広い人間関係を

 ――最後になりますけど、東大生にメッセージをお願いします。

 我々企業人の立場から言いますと、学生のときでも、社会に出て企業に入ってからでも、共通して言えることだと思うんですが、できるだけ趣味をたくさん持ちなさい、ということです。スポーツでも音楽でもなんでもいいんですが、そういう趣味を自分の勉強以外に持ちなさい。そして、趣味を通じていろんな人と付き合いなさい。だいたい学生のときは、仲の良い友達としか付き合わないんですよね。ところが、会社に入ったり、社会へ出てからそれではだめなんです。商売やるにしても嫌いな人にも売らなくてはならないし、インタビューにも行かないといけないんだよね(笑)。
 ところが、利害関係なしに付き合えるのが趣味の世界なんですよ。言いたいこといっていいしね。そういう世界でしょう。老若男女問わずに、貧乏だろうが金持ちだろうが、そんなこと関係なし。そうすると、もっといろんな価値観があることがわかるわけです。ところが東大生というのは、一生懸命塾やなんかに通って勉強してきて、その世界しか知らないんですよね。そんなんじゃだめですよということ。世の中には、商売やっているパチンコ屋だって、八百屋だって、魚屋だって、みんなそれぞれ価値観があるわけであって、だから仕事をしているわけであってね、それが理解できなきゃだめなんですね。
 そのためには、今言ったように、世の中には自分が育ってきた環境だけではなくて、もっと広い、いろんな価値観があるんだよということがわからなければだめですね。

社会的影響を考えて仕事をせよ

 ――今、東大生も「自分さえよければ」という風になってきていると言われていまして、教養学部長も駒場の三悪事ということで万引き、カンニング、それからごみのポイ捨てと、東大生の間でかなり悪くなってきていると嘆いておられたんですけれども…。自己中心と言いますか、エゴが広がってきているんです。

 もう一つ忘れちゃいけないのは、企業というのは大きな社会的責任があるということです。明治維新からまだ130年しか経っていないわけですけど、日本社会はこれだけ変わったんですよね。それを一体誰が変えてきたのか、というと、私は企業そのものだと思うんです。テレビ作ったり、電話作ったりね。それから、コンピューターや携帯電話だってそうだし。生活そのものの習慣まで変わっちゃっているわけですね。それくらい世の中を変える力が企業そのものにあるんですね。世の中に対して企業っていうのは、末端に至るまで責任があると思うんです。それだけに、私は企業っていうのは、どんな世の中にしていくかということを考えながら物を開発しなくてはいけない、と思うんです。たとえば排気ガスや廃棄物の問題がそうでしょう。だから、小さな企業から大きな企業まで、それぞれ違う役割と責任を持っていると思うんです。 それからもう一つ私が言いたいのは、どういう社会的な影響を及ぼすかということをいつも考えながら次世代のために仕事をしなければならないということです。

土台がしっかりしていなくては

 それから言いたことは、「歩の心を知れ」ということなんです。将棋でいう歩ですね。歩の心を知らないと、将来マネージメントはできません。そのためには、研究開発でも何でもそうなんだけれども、まず、飛び込んで現場を知るくらいの希望をすべきだと思いますよ。自分の経験から言うと、力を付けるためには本当にまず下積みからやりなさい。希望してやりなさい。東大出たからいいなんて大間違いでね。はじめの土台がしっかりしてなきゃだめなんです。そのためには、エリートぶっててはそういう土台はできません。御膳立てしてくれた中で歩いてきた人っていうのは、弱いんだなあ。それから、その人の立場に立ってものを考えてやれない。そういうところがありますね。「東大出てきました」なんていうような免状を振り回しているようでは、ダメなんです。(談)