OB special interview

日立建機株式会社

取締役社長 瀬口 龍一氏(S31法卒)

 今回のOBスペシャルインタビューは、日立建機株式会社社長の瀬口龍一氏。大学時代には落語研究会に所属していたというユニークな経歴を持つ瀬口先輩に、東大時代の思い出と不況が続く日本経済の課題と展望、そして学生へのメッセージを語ってもらった。

「寄らば大樹の陰」からの脱却を

アメリカ大使館に抗議に行った

 ――先輩はどのような学生時代を過ごされたのか、お聞かせください。

 私は落語研究会に入っていました。割合、日本文化に興味があって、日本文化研究会の中の落語部と歌舞伎部に所属していました。多分、父親の影響だと思うのですが。私たちの頃は師匠のお宅へ直接習いに行きました。可楽(故人)、小柳枝(故人)といった方々が先生でした。又、「落語大学」というのがあって、有名な落語家を呼んで駒場の九大教室で落語をやってもらいました。いつも超満員だったことを覚えています。私が司会をやったこともあります。
 当時は、学生運動が盛んな頃で、皇居前で車をひっくり返したりして大騒ぎだったことを思い出します。そんな時代でしたが、私はそういうのに余り賛成できませんでした。浅間山に地震研究所があったんですが、米軍が浅間山に基地をつくると言うので、それに反対してストライキが起こったことがあります。私のクラスは、ストライキなんかやってもしょうがないと言って、反対したんですが、ほとんどのクラスは賛成で「じゃあ、米軍基地をつくってもいいのか」と言われて、「そりゃ米軍基地つくるのは反対だけれども、ストライキという手段はおかしいんじゃないか」と主張しました。学生が自分の学業を放棄してストライキをやって何の意味があるのかというわけですよ。じゃあどうするんだということになって、仕方なしに私のクラスだけでアメリカ大使館に抗議に行きました。もっとも交渉は、みんな英語がうまくしゃべれなくて、ふうふう言いながらでしたけどね(笑)。
 駒場祭ではクラスで芝居をやりました。そのころ実存主義がはやっていて、アルベール・カミュの「異邦人」を本邦初演でやりました。私は、検事の役でしたが、途中で台詞を忘れちゃってね。また、そのとき舞台装置もはじめて手掛けて、楽しい思い出になりました。でも、「異邦人」は芝居に向かないとみえて、その後演劇化されたという話は聞きませんね。心理的なものですから。

学内選考まであった就職活動

 本郷に行ったら、今度は駒場とちがって心を入れかえて一生懸命やるしかなかった。就職が私たちの頃は最低だったんですよ。昭和30年というのは大不況でした。尤も今よりはいいのかもしれないけどね。
 そのころは、就職活動で成績がすごくモノを言う時代だったので、とにかくいい成績をとらなければいけない。私は講義のノートを取るアルバイトをしていたんですが、東大出版会だったかどこかで、みんな学校に行かなくても試験を受けられるようにガリ版刷りのノートの復製を売っていたわけですよ。ちゃんと書く人を決めて、その人が自分のノートを整理して、先生に見せて、添削してもらって、それを印刷して売るというわけです。
 本郷時代は一生懸命勉強して、アルバイトをやったというのが思い出ですね。
 あの頃は就職の解禁日があって10月1日以降でないと活動ができなかったんですが、当時は買い手市場だから、ほとんどの会社で全部10月1日に試験日が重なっていたんです。2日とか3日というところが少ない中で、日立製作所は2日の日に試験がありました。法学部と経済学部から最終的には50人受けて5人しか採用されませんでしたが、あまり志望者が多いので、学内選考の結果、受験できる者が50人にしぼられたというわけです。その年は留年した人や学士入学した人が、例年になくたくさんいたはずです。就職難ということがすごく記憶にありますね。

現在は政府による人為的不況

――日本経済の課題と展望ということでお話していただけますか。

 私は今の不況というのは、少なくとも戦後最悪だと思います。恐慌一歩前か、もう恐慌に入っているのかもしれません。それくらいひどい情勢だと思います。
 なぜこれが起きたかというと、少なくとも直接的な引き金になったのは、97年度以降の日本政府の政策だと思います。その意味で人為的不況といってもいいのではないでしょうか。それまでの20年間は、経済ははっきりと景気の循環軌道に乗っていたと思うんです。好況、不況といっても循環の中の山だとか谷だったのだと思います。ところが去年の4月以降、これがはっきりと崩れてきたわけです。去年の4月までは不況といっても循環の谷だったんです。循環からいけば、4月からゆるやかに上がるはずなんですが、誰かがそれを既に上昇気流に乗ったものと錯覚して、所得税・消費税の増税や、医療費の値上げ、それに公共投資の削減まで一挙にやってしまったわけです。13兆を超えるお金が市場から吸い上げられたのだと思います。確かに税制の問題は大事で、とくに消費税はある時期で上げるべきだったとは思いますが、あの時期にやるべきではなかったと思うんです。タイミングを誤ったというべきですね。それは、はっきりといろいろな統計が示していて、ほとんどの国内関係の指標が去年の4月以降急激な落ち込みを示しています。もう一つは、土地の値段が下がり、株も下がって含み資産が急速に減少したことがあげられます。今、日本には約1,200兆円の預貯金があるといわれていますが、その他に、土地とか株とかの形で膨大な資金があったわけです。しかし、バブル崩壊以降、土地だけで800兆円、株で400兆円減ったと言われています。あっという間に1,200兆円がなくなってしまったと言えるわけです。やるべきではないときに財政再建という名の下にいわゆるデフレ政策をやって失敗したということだと思います。
 問題は、去年の4月ごろから悪い影響が出てきていたにもかかわらず、一部の人をのぞいて、その事に敏感でなかったということだろうと思います。その原因の一つは、輸出が好調だったということ。国内では過去最低を記録して、少なくとも10年くらいの需要量に戻っていたんですが、輸出がものすごく好調で、しかも円安が来たものだから(注:10月2日現在)、国内が最低でも、痛みを感じなかったということだと思います。たとえば、自動車とか建設機械といったアッセンブリー産業は国内向けと輸出向けというのがはっきりと別れているわけで、そのことがはっきり認識できるが、鉄鋼など材料を造っているところや運送屋さんなんか、たとえそれが輸出向けであっても区別できないで、国内需要とみてしまうといったことがあったのではないかと思います。しかし、日本の国内需要の低迷がアジアに波及し、加えて外国からの短期資金が急速に引き上げられてアジア経済がおかしくなってくると、日本からの輸出にも大きな影響がでて、昨年の11月頃になってそれが総需要の減退として顕在化してきたわけです。そこで初めて皆が事態の急変を認識し出したのではないでしょうか。
 離陸直後なのにもかかわらず、バルブをしめて失速させた結果、逆乗数効果も働いて時間とともに加速度的にどんどん悪くなっているというのが現実ではないでしょうか。打つ手が遅くなればなるほど傷口が深くなるというわけです。ですから、ごちゃごちゃ瑣末な議論ばかりしないで、やるべきことを早くやるというのが一番求められていると思います。じゃあ何をやるかということになるが、そんな名案があるわけではなく、結局は二つの手段しかない。景気を刺激していくためには、昔、大学で習ったように金融政策と財政政策しかないんですよ。金融政策については、これまでに一生懸命やってきたわけですから、もうあまり余地がない。よって選択肢は財政政策しかないと思います。

不況でも日本は世界一の債権国

 財政再建論者というのはたくさんいて、もっともらしく聞こえますが、タイミングも大事だということだと思いますよ。将来にわたって考えるのは正しいと思いますが、この時期に財政再建というのは自殺行為ですよ。まだ、病状が回復していないのに点滴を外してはいけないんです。それが今の状況だと思います。じゃあ誰かこの薬が効くといっても、責任論みたいなものにばかりこだわっていて何もしないというのではすまない状況になっています。金融システムの問題などはその典型で、明日をも争う病状だというのに治療は一向にすすまない。財政出動をすると財政赤字が増えるのはもちろん当然ですが、その場合、財政赤字といっても、政府の赤字だということを忘れてはならない。一方、国としては1,200兆円の預貯金があるわけで、それが国内に投資先がないために、全部外国に行ってしまっているのも現実です。
 この不況の中でも、日本は世界一の債権国です。お金を貸しているんです。一方で好景気を謳歌しているアメリカが世界の大債務国だというのは大きな矛盾です。アメリカは財政黒字になったといっていますが、それは景気がいいからで、景気が良くならないことには財政も良くならないというのは当然の帰結です。財政再建ということは政府の財政破綻を改善するということですが、一方、国全体では1,200兆の預貯金があるわけですから、それを有効に使って内需を拡大し、景気をよくして税収の自然増をはかるというのも財政再建の一つだと思うんですが、どうでしょうか。
 国債を出すことも一つの方法です。国債というのは政府にとって借金ですが、そのお金を貸しているのは国民だということも注意する必要があります。金利の支払いや元本の返済という形で、子孫にツケを残すことになるといいますが、その受け手も同じ子孫であるということが大事な点です。政府と国民とを切り離して考えたら問題を感じるかもしれませんが、国全体として考えるとまた別の考えが出てくるのではないかと思います。
 では、国家財政はどうでもいいかというと、そうではないわけで、それを健全化するということは、それはそれで大事です。しかし、それはタイミングを見て総合的に考える話であって、つのをためて牛を殺すのではどうにもならないということだと思います。あくまで景気を維持しながらやっていかないといけないわけで、疲弊してしまってはどうにもならないですからね。

倫理だけでは割り切れない

 もう一つ大事なのは、部分最適と全体最適は必ずしも同じではないということです。たとえば、お金がなくなったとしたら、節約しないといけないわけで、個々の企業が節約するのは当然ですが、そのことは経済全体にとって必ずしもいいことではないということです。つまり個において真なることは、必ずしも全体にとっては真ではないという点が重要です。ところが、今はどちらかというとみんな個にいってしまう傾向が強い。個のほうがわかりやすいんですね。たとえば汚職は悪いことだとか会社が赤字になるのはよくないなどということはとてもわかりやすい。一方、選挙というものがあって、個々の投票者の利害に焦点をあてないと当選できないから、ますます個に関心が行ってしまうんです。実は、一方で全体に対して矛盾したことをやっているかもしれないのにね。世界中の人が日本と同じ水準の生活をしようとしたら、エネルギー一つとってみても大変なことになります。個々をみてみれば、満ち溢れた生活をしている一方で、飢え苦しんでいるということは矛盾ですが、全体を考えると倫理だけでは割り切れない面があるんです。非常に難しいですね。個において真なることは、全体においては必ずしも真ではない。だからといって共産主義にも全体主義にもなりたくないですよね。民主主義は結構なことなんですが、だからといって個に走りすぎて全体を見ないということでは困るということだと思います。

自分で切り開く気概を持て

――最後になりますが、次代を担う東大生へのメッセージということでお願いします。

 東大は優秀な学生が集まっているわけですね。少なくとも学校の勉強は良くできるわけですね。だけど卒業したら東大という意識を捨てた方がいいのではないでしょうか。問題はその人の力です。いつまでも東大にこだわっていても、世間が受け入れてくれればいいけど、そうはいかないですよね。東大に入ったということは、一つの大きなチャレンジに成功したということで、それはすばらしいと思います。そこで、東大の中で一生懸命勉強して力をつける。その後は東大にこだわらないで、本当の意味での自分の実力を信じていくべきだと思います。
 東大生というのは「寄らば大樹の陰」という考えが強すぎるように思います。判で押したようにみんな超大企業に行きます。しかし、その分、自分の運命は偶然に左右されることになってしまうし、そこで目立つということは本当に難しいことです。むしろ大きな会社では、表面的にだけうまくやるような人が出世していく傾向も否定できません。だから、ある程度の規模の、これからの会社に入って、その会社を大きくするんだといった気概をもって欲しいと思います。東大の人は力があるわけだから、自分の力を発揮できる規模というものを選んだ方が良いと私は思いますね。自分で切り開く要素の大きいところへ行かないといけません。    (談)

プロフィール
(せぐち・りゅういち)
 昭和8(1933)年生まれ。熊本県出身。昭和31年東京大学法学部卒業、同年株式会社日立製作所入社。昭和45年日立建機発足に伴い、同土浦工場企画課長。昭和56年取締役、昭和58年常務、平成元年専務、平成5年副社長を経て、平成9年6月社長に就任、現在に至る。