教育学部は教育界をリードせよ

 「続・こころの教育」もいよいよ今回で最後となった。この連載では、本学教育学部にスポットを当てて調べてきた。 それは、日本教育界に多大な影響を与えてきたのが本学教育学部であるという観点からであった。その中で、戦後、左翼 的な教育学部長が多く出たことが明らかになった。彼らがまた、日本教育学会会長などの要職に就き、更なる悪影響を与 えてきたこともわかった。
 しかし、時代の流れということもあり、そのような教授は減ってきている。前回まで載せてきた「教育学部公開講座」に登場した教授・助教授たちをみれば、少し希望に感じた読者も多かったのではないか。
 そこで、今回は最終回として、本学教育学部にいくつかの提言をして、本連載の締めくくりとしたい。


心の荒廃の原因は道徳教育の不在

 現在、教育改革が叫ばれ、誰しもその必要性を感じている。しかし、教育問題は多岐にわたり、その核心部分とも言える「こころの教育」も有効な具体法案が見つかっていないのが現状である。
 そこで、本学教育学部の教授や学生たちこそ、真の教育理念や教育哲学の確立を目指して真剣に取り組んでほしいと願うものである。
 そもそも「こころの教育」が国民全体の関心事になった契機は、1997年春の神戸児童殺傷事件であった。文部省も中教審などを通じてその問題に取り組んだが、結局、本質にまで踏み込めず、家庭におけるしつけの重要性、悪質なテレビ番組を規制するVチップ制の導入など、小手先の改革を訴えるだけの内容であった。
 しかし、神戸児童殺傷事件に代表される最近の異常な青少年犯罪は、突如として青少年が狂った結果ではない。前連載「こころの教育」でも書いたが、心の荒廃、教育の荒廃の原因の一つに、戦後の「道徳教育の不在」がある。それが青少年だけでなく、社会全体のモラルの退廃をもたらした。今や、汐見助教授が指摘したように、「子どもたちの10倍、大人たちがキレている」状況なのである。

道徳教育不在の三つの原因

 では、「道徳教育の不在」の原因はいったい何であったのだろうか。
 まず、日本国憲法も教育基本法も、共に個人主義の考え方に立ち、家庭や家族関係を軽視していることが挙げられるだろう。家庭は倫理・道徳の基本を身につける場である。その家庭が、戦後の経済最優先の価値観の中で崩壊してしまった。
 第二に、戦後、それまでの国家主義、軍国主義などの価値観が否定され、思想の空白に、共産主義思想が入り込んだことが挙げられる。特に教育界においては、日教組が道徳教育に強烈に反対し、責任抜きの人権思想、悪しき平等主義を唱えて、利己主義を助長させた。
 また、教育界をリードすべき教育学者の多くが共産主義思想に基づく対立と闘争の思想を広め、教育全体に大きな歪みを与えたことも挙げられる。この点については、本連載で詳しく検証してきた。
 第三に、文部省が教育哲学をもたず、行政を行ってきたことが問題ではないか。「どういう人間になるのが望ましいのか」といった理想的人間像が失われ、戦後教育は、もっぱら科学偏重、受験教育中心となった。

米国は純潔教育で家庭強化めざす

 それでは、こころの教育の柱となる「道徳教育」をどのようにおこなえばよいのだろうか。
 人は家庭の中に生まれ、まず、その中でモラルの基本を身につける。しかし、戦後50年あまりの間、家庭を軽視した法のもとで家庭の崩壊が進み、社会全体がモラルを失ってしまった。
 来たる21世紀は、個人の尊重と家庭の尊重とを調和させた新しい考え方に立ち、それを基盤として愛国心、人類愛を育んでいくべきである。
 ところで、健全な家庭は健全な性道徳なしにはあり得ない。フリーセックスで性道徳が乱れた米国は家庭も崩壊し、十代の妊娠が年間百万件にも上り、大量の未婚の母を生んだ。そこで、家庭強化の政策を打ち出し、「純潔教育」を推進している。
 たとえば、純潔教育のプログラムを実施する州に対して、年間5千万ドル、5年間で総額2億5千万ドルを助成するという制度ができた。リベラルなコンドーム教育推進派の強力な圧力があったものの、50州すべてがこの制度に申請したという。
 コンドーム教育推進派の人々は、若者が性行動に走るのは不可避であり、未婚で妊娠したりエイズに感染して不幸になるより、セックスをしてもそれらの危険から身を守る方法を教えた方が現実的であると主張する。
 これに対して、純潔教育を推進する人々は、純潔プログラムが若者の性行動を抑制するのに役立っているという調査結果を提示している。
 若者たちが純潔を守るのは、単に妊娠やエイズの恐怖からだけではない。相応の関係を築くまでは待ちたいという気持ち、学業と性関係をはかりにかけての選択、純潔を誓うことで将来の妻に愛情の深さを示したい、などいくつかの理由がある。

韓国の学校で広まった純潔宣誓式

 同じように国家レベルで純潔教育の潮流が起こっている国に、隣りの韓国がある。韓国では、98年から婚前婚後の純潔と貞節を誓う「純潔誓約式」が小中高校の学校行事として大半の学校で行われ、注目を集めている。
 民間団体の韓国青少年純潔運動本部が提唱する趣旨に賛同した全国の教育長が管轄内の全小中高校に公文を送付。その後、ほぼ全校にあたる約1万300校、830万人の児童生徒を対象に純潔誓約式が行われた。式では、校長か純潔運動本部の専門講師が純潔の意義について講義した後、全体で「純潔宣誓文」を唱和する。宣誓文の内容は「純潔を守る」「淫乱ビデオや書籍を見ない」「真なる心で友だちに対し、暴力をふるわない」「学校と社会の発展に奉仕する生徒となる」といったもの。生徒も教師も反応はすこぶる良いという。
 韓国青少年純潔運動本部は「祖国の未来を担う青少年を正しく育てるための『純潔運動』こそが、真の意味での第二の建国運動に他ならない」と語っている。
 不倫と離婚が急増しているわが国も、健全な家庭建設を目指し、純潔教育を広めていかねばならないだろう。

米国で期待される人格教育

 それから、道徳性の啓発、人格形成といったものは、家族や学校、社会の支援、指導がなければ不可能である。しかし、戦後流行したデューイ教育学では、道徳教育を否定し、「自己決定」の方法をとる。これは、親や教師が善悪の価値観を教えるのではなく、子どもに自ら考えさせるというものである。しかし、米国では「自己決定」の方法論は1960年代に失敗した単なる一つの流行だったと非難されている。
 現在、米国ではそれに代わり、「人格教育」(Character Education)を導入し、基本的道徳を身につけさせようとしている。その目標は「子どもたちの自尊心を高め、他人を深く尊敬し、肯定的、積極的な価値観を持つことにより、責任ある社会の一員になることを助けていくこと」だという。その価値観には、尊敬、責任、信頼、正直、公正、寛容、勤勉、節制、貢献、正義、勇気などが含まれている。
 さまざまな問題を抱えていた学校が、「人格教育」を実施した結果、数年間でそれらを解決し、学業成績の向上など多くの成果を上げてきていることが、全米で「人格教育」に対する期待を一層高めている。

憲法は宗教心の教育まで否定せず

 それから、こころの教育の重要な柱の一つに「宗教心」の教育が挙げられる。
 「日本国憲法」も「教育基本法」も、共に宗教の価値を認め、これを重視している。しかし、「政教分離」が過度に強調され、社会から宗教を排除するような方向にも機能してきた。教師たちも宗教関係の教育を避けるようになった。
 「宗教心」の教育とは、一つの宗派に偏らない普遍的なものである。たとえば、生かされているという畏敬の念、感謝の心、愛、尊敬心、善く生きようとする心などを教えるものである。憲法はこのような意味での宗教心の教育まで否定しているわけではない。しかし、現在の日本の学校では、宗教心の教育については否定的なところも多い。給食の時間の始めに「いただきます」と言うことも宗教にかかわるということで中止している地域があると聞く。感謝の意を表す日本の伝統的習慣すら否定されているのである。
 武蔵野女子大の杉原誠四郎教授(本学教育学部卒)は宗教心についてこう言う。
「『宗教心』は最高の自己愛にかかわる心の働きなのである。そしてそれゆえに自己をより広く、より大きな観点から眺め、心を豊かにするのである。そして人間としてよりよい発達を促進させるのである。それゆえ『宗教心』は子供の健全な成長発達を促すことになり、教育的にはかけがえのない意義があることになる」
 杉原教授は、神戸事件の少年A(酒鬼薔薇聖斗)が自己流の変な神(バモイドオキ神)を立てていたことに関し、「それは彼にある普遍的な『宗教心』が適正な宗教教育によって適正に育まれなかったことを明かしている」と言う。オウム事件に関しても「教育のなかで宗教のことをまったく教えず、そのために宗教について無知と飢えという負なる大きな空洞を育ててきた結果なのである」と指摘している。

新しい教育理念を主張せよ

 人間は、大自然に触れることによって、何か偉大な存在を感じる心を持っている。公開講座で汐見助教授もそのことをバングラディシュでの自身の体験として語った。そして、「人生哲学」の必要性を訴えた。西平助教授もシュタイナー教育のすばらしさを説きながら、宗教心の教育の必要性を示唆した。
 これからの本学教育学部は、このような柔軟な感性をもった学者たちを先頭に、過去の唯物的教育哲学を一掃しながら、新しい教育哲学、教育理念を堂々と主張してほしい。そして日本教育界を正しい方向へ導いてほしいと切に願う。

 《東大新報「こころの教育」取材班》