教育学部は教育界をリードせよ

 「続・こころの教育」もいよいよ今回で最後となった。この連載では、本学教育学部にスポットを当てて調べてきた。 それは、日本教育界に多大な影響を与えてきたのが本学教育学部であるという観点からであった。その中で、戦後、左翼 的な教育学部長が多く出たことが明らかになった。彼らがまた、日本教育学会会長などの要職に就き、更なる悪影響を与 えてきたこともわかった。
 しかし、時代の流れということもあり、そのような教授は減ってきている。前回まで載せてきた「教育学部公開講座」に登場した教授・助教授たちをみれば、少し希望に感じた読者も多かったのではないか。
 そこで、今回は最終回として、本学教育学部にいくつかの提言をして、本連載の締めくくりとしたい。


心の荒廃の原因は道徳教育の不在

 現在、教育改革が叫ばれ、誰しもその必要性を感じている。しかし、教育問題は多岐にわたり、その核心部分とも言える「こころの教育」も有効な具体法案が見つかっていないのが現状である。
 そこで、本学教育学部の教授や学生たちこそ、真の教育理念や教育哲学の確立を目指して真剣に取り組んでほしいと願うものである。
 そもそも「こころの教育」が国民全体の関心事になった契機は、一九九七年春の神戸児童殺傷事件であった。文部省も中教審などを通じてその問題に取り組んだが、結局、本質にまで踏み込めず、家庭におけるしつけの重要性、悪質なテレビ番組を規制するVチップ制の導入など、小手先の改革を訴えるだけの内容であった。
 しかし、神戸児童殺傷事件に代表される最近の異常な青少年犯罪は、突如として青少年が狂った結果ではない。前連載「こころの教育」でも書いたが、心の荒廃、教育の荒廃の原因の一つに、戦後の「道徳教育の不在」がある。それが青少年だけでなく、社会全体のモラルの退廃をもたらした。今や、汐見助教授が指摘したように、「子どもたちの十倍、大人たちがキレている」状況なのである。

道徳教育不在の三つの原因

 では、「道徳教育の不在」の原因はいったい何であったのだろうか。
 まず、日本国憲法も教育基本法も、共に個人主義の考え方に立ち、家庭や家族関係を軽視していることが挙げられるだろう。家庭は倫理・道徳の基本を身につける場である。その家庭が、戦後の経済最優先の価値観の中で崩壊してしまった。
 第二に、戦後、それまでの国家主義、軍国主義などの価値観が否定され、思想の空白に、共産主義思想が入り込んだことが挙げられる。特に教育界においては、日教組が道徳教育に強烈に反対し、責任抜きの人権思想、悪しき平等主義を唱えて、利己主義を助長させた。
 また、教育界をリードすべき教育学者の多くが共産主義思想に基づく対立と闘争の思想を広め、教育全体に大きな歪みを与えたことも挙げられる。この点については、本連載で詳しく検証してきた。
 第三に、文部省が教育哲学をもたず、行政を行ってきたことが問題ではないか。「どういう人間になるのが望ましいのか」といった理想的人間像が失われ、戦後教育は、もっぱら科学偏重、受験教育中心となった。

米国は純潔教育で家庭強化めざす

 それでは、こころの教育の柱となる「道徳教育」をどのようにおこなえばよいのだろうか。
 人は家庭の中に生まれ、まず、その中でモラルの基本を身につける。しかし、戦後五十年あまりの間、家庭を軽視した法のもとで家庭の崩壊が進み、社会全体がモラルを失ってしまった。
 来たる二十一世紀は、個人の尊重と家庭の尊重とを調和させた新しい考え方に立ち、それを基盤として愛国心、人類愛を育んでいくべきである。
 ところで、健全な家庭は健全な性道徳なしにはあり得ない。フリーセックスで性道徳が乱れた米国は家庭も崩壊し、十代の妊娠が年間百万件にも上り、大量の未婚の母を生んだ。そこで、家庭強化の政策を打ち出し、「純潔教育」を推進している。
 たとえば、純潔教育のプログラムを実施する州に対して、年間五千万ドル、五年間で総額二億五千万ドルを助成するという制度ができた。リベラルなコンドーム教育推進派の強力な圧力があったものの、五十州すべてがこの制度に申請したという。
 コンドーム教育推進派の人々は、若者が性行動に走るのは不可避であり、未婚で妊娠したりエイズに感染して不幸になるより、セックスをしてもそれらの危険から身を守る方法を教えた方が現実的であると主張する。
 これに対して、純潔教育を推進する人々は、純潔プログラムが若者の性行動を抑制するのに役立っているという調査結果を提示している。
 若者たちが純潔を守るのは、単に妊娠やエイズの恐怖からだけではない。相応の関係を築くまでは待ちたいという気持ち、学業と性関係をはかりにかけての選択、純潔を誓うことで将来の妻に愛情の深さを示したい、などいくつかの理由がある。

韓国の学校で広まった純潔宣誓式

 同じように国家レベルで純潔教育の潮流が起こっている国に、隣りの韓国がある。韓国では、九八年から婚前婚後の純潔と貞節を誓う「純潔誓約式」が小中高校の学校行事として大半の学校で行われ、注目を集めている。
 民間団体の韓国青少年純潔運動本部が提唱する趣旨に賛同した全国の教育長が管轄内の全小中高校に公文を送付。その後、ほぼ全校にあたる約一万三百校、八百三十万人の児童生徒を対象に純潔誓約式が行われた。式では、校長か純潔運動本部の専門講師が純潔の意義について講義した後、全体で「純潔宣誓文」を唱和する。宣誓文の内容は「純潔を守る」「淫乱ビデオや書籍を見ない」「真なる心で友だちに対し、暴力をふるわない」「学校と社会の発展に奉仕する生徒となる」といったもの。生徒も教師も反応はすこぶる良いという。
 韓国青少年純潔運動本部は「祖国の未来を担う青少年を正しく育てるための『純潔運動』こそが、真の意味での第二の建国運動に他ならない」と語っている。
 不倫と離婚が急増しているわが国も、健全な家庭建設を目指し、純潔教育を広めていかねばならないだろう。

米国で期待される人格教育

 それから、道徳性の啓発、人格形成といったものは、家族や学校、社会の支援、指導がなければ不可能である。しかし、戦後流行したデューイ教育学では、道徳教育を否定し、「自己決定」の方法をとる。これは、親や教師が善悪の価値観を教えるのではなく、子どもに自ら考えさせるというものである。しかし、米国では「自己決定」の方法論は一九六〇年代に失敗した単なる一つの流行だったと非難されている。
 現在、米国ではそれに代わり、「人格教育」(Character Education)を導入し、基本的道徳を身につけさせようとしている。その目標は「子どもたちの自尊心を高め、他人を深く尊敬し、肯定的、積極的な価値観を持つことにより、責任ある社会の一員になることを助けていくこと」だという。その価値観には、尊敬、責任、信頼、正直、公正、寛容、勤勉、節制、貢献、正義、勇気などが含まれている。
 さまざまな問題を抱えていた学校が、「人格教育」を実施した結果、数年間でそれらを解決し、学業成績の向上など多くの成果を上げてきていることが、全米で「人格教育」に対する期待を一層高めている。

憲法は宗教心の教育まで否定せず

 それから、こころの教育の重要な柱の一つに「宗教心」の教育が挙げられる。
 「日本国憲法」も「教育基本法」も、共に宗教の価値を認め、これを重視している。しかし、「政教分離」が過度に強調され、社会から宗教を排除するような方向にも機能してきた。教師たちも宗教関係の教育を避けるようになった。
 「宗教心」の教育とは、一つの宗派に偏らない普遍的なものである。たとえば、生かされているという畏敬の念、感謝の心、愛、尊敬心、善く生きようとする心などを教えるものである。憲法はこのような意味での宗教心の教育まで否定しているわけではない。しかし、現在の日本の学校では、宗教心の教育については否定的なところも多い。給食の時間の始めに「いただきます」と言うことも宗教にかかわるということで中止している地域があると聞く。感謝の意を表す日本の伝統的習慣すら否定されているのである。
 武蔵野女子大の杉原誠四郎教授(本学教育学部卒)は宗教心についてこう言う。
「『宗教心』は最高の自己愛にかかわる心の働きなのである。そしてそれゆえに自己をより広く、より大きな観点から眺め、心を豊かにするのである。そして人間としてよりよい発達を促進させるのである。それゆえ『宗教心』は子供の健全な成長発達を促すことになり、教育的にはかけがえのない意義があることになる」
 杉原教授は、神戸事件の少年A(酒鬼薔薇聖斗)が自己流の変な神(バモイドオキ神)を立てていたことに関し、「それは彼にある普遍的な『宗教心』が適正な宗教教育によって適正に育まれなかったことを明かしている」と言う。オウム事件に関しても「教育のなかで宗教のことをまったく教えず、そのために宗教について無知と飢えという負なる大きな空洞を育ててきた結果なのである」と指摘している。

新しい教育理念を主張せよ

 人間は、大自然に触れることによって、何か偉大な存在を感じる心を持っている。公開講座で汐見助教授もそのことをバングラディシュでの自身の体験として語った。そして、「人生哲学」の必要性を訴えた。西平助教授もシュタイナー教育のすばらしさを説きながら、宗教心の教育の必要性を示唆した。
 これからの本学教育学部は、このような柔軟な感性をもった学者たちを先頭に、過去の唯物的教育哲学を一掃しながら、新しい教育哲学、教育理念を堂々と主張してほしい。そして日本教育界を正しい方向へ導いてほしいと切に願う。(終わり)

(誠&登)


現代学校の相対化を

 今回は、昨年12月4日に行われた教育学部公開講座4日目のパネル討論を紹介する。
 テーマは「教育のオルタナティヴズ」で、パネラーとして五人の講師が登壇した。土方苑子・本学教育学部教授、汐見稔幸・本学教育学部助教授、西平直・本学教育学部助教授、寺崎弘昭・本学教育学部助教授、奥地圭子・東京シューレ主宰の五人である。
 この五人は、それまでの3日間で、一コマずつ講義を担当している。
 まず前半は、五人がそれぞれの講義のまとめと補足をした。


「学校は変わるもの」歴史は語る

 土方:ずいぶん前から、教員養成でも「日本教育史は知らなくてもよい」ということになっている。しかし、現在の教育は過去の教育の上にあるものだ。過去の教育を知ることも重要。
 「学校というのは、行かなくてはいけないもの」。それとは違った学校観でとらえることが今は難しい。昔は、「お茶の稽古があるので学校を休みます」と届けるのも普通だった。
 国や役所が「学校へ行け」と言っても、本人が本当に役に立つと思わないと学校へ行かないものだ。親も、「学校へ行かせないと社会に出て困る」とわかると、とにかく行かせる。
 学校や教育についての行動は我々自身が何を人生の幸福だと思うか、という一番根っこの身近なところからの行動であり、それが日本全体につながっているように思う。学校は変わるものであること、国ではなく、人々の行動が基本的には重要であること。歴史はそう語っているのではないか。

教師がカギを握るシュタイナー教育

 西平:「シュタイナー教育の秘密」というタイトルで話したが、秘密を解き明かすつもりはなかった。シュタイナーの人間観と教育方法をつなぐカギは何か。それが秘密と言えば秘密。
 シュタイナー教育の本質を受け入れるために、シュタイナー独特の思想・人間観を受け入れないといけないのか。そうではないと思う。シュタイナー教育の本質と彼の人間観の間に隙間がある。そこを教師がつないでいるのではないか。だから、マニュアルがあるわけではない。教師がすべてということになる。実際、シュタイナー学校の教師はかなり大変だろう。
 それから、講義でとばしてしまった「教師の権威」について補足したい。
 シュタイナーは「教師に権威がなければならない」と、繰り返し言う。しかし、押さえつける権威ではない。にじみ出る権威である。
 「尊敬する大人に従うことが必要な時期がある」と、シュタイナーは言う。早く自由になると、不安がつきまとうと言う。だから、「自由な教育」ではなく、「自由への教育」だと言われる。

中高年の自殺増「中高年の危機」

 寺崎:私はヨーロッパ教育史の担当である。今回は「人生区分の思想史」というテーマで講義した。結論として四点。@ライフサイクルは一つのミクロコスモス。A六十歳以上の老人は権威をもっていたが、近代以降凋落した。Byouth(青年・中年)の時期がもっとも危険。悩む時期。C青年期がモラトリアムという形で膨張し、かつ特権化した。
 今、日本は「青少年の危機」と言われているが、中高年の自殺が増えている。「中高年の危機」である。

学校を相対化し東京シューレを

 奥地:私はフリースクール「東京シューレ」を主宰している。
 以前は、学校の教師を22年間やっていた。なぜ公立学校の教師をしていた人間が、オルタナティヴな学校に今いるのか。それは「登校拒否」と出会ったからである。最初は、自分の息子だった。
 登校拒否を、問題がある子、心が病んでいる子、社会性がない子ととらえたら、フリースクールをつくる動きにはならなかっただろう。
 学校を絶対視する価値観が私にもあった。学校に行くのが絶対だと思っていた。しかし、登校拒否と出会い、学校相対化を考えた。そこで「東京シューレ」をつくり出した。
 その理念と特徴は以下のようになる。@子どもたちの居場所である。安心できるところ。A子どもたちの意思を尊重している。シューレに通う・通わないも、授業や行事への参加も自由。B子どもたちの自治を尊重。毎週のミーティングですべてを決定。C子どもたちの個の尊重。一斉・一律に全員が何かをするのではなく、個別性を大事に考えていく。
 やがて、子どもたちが学校を選べるような時代になっていけばいいと思う。

     (誠&登)


人生哲学を打ち出すべき

 昨年、催された教育学部公開講座の中から、前回は西平直氏の講義を紹介した。今回は汐見稔幸・本学教育学部助教授の講義を紹介する。
 汐見氏は1978年から現職に就いている。氏は堀尾輝久・元教育学部長と同じ学科で教えていたにもかかわらず、堀尾学部長らの左翼的教育路線の影響を受けずに独自の教育観をつくりあげてきた。今回の講義をみてもわかるように、現代の教育問題の解決に大きな役割を果たす人物として期待されている。


「子どもの攻撃性」のすさまじい実態

 汐見氏の講義テーマは「子どもの攻撃性」であった。
 汐見氏はまず、青少年問題の最近の流れを次のようにまとめた。
 「子どもたちの気になる行動(不良、つっぱり、盗みなど)はいつの時代にもあった。非行に関して、戦後、特に三つのピークがあった。第一のピークは1950年頃。第二のピークは1965年頃。そして、第三のピークは1970年代末から。その頃、シンナーが一挙に広がった。小・中学生の自殺も増えた。ちょうど受験戦争が激しくなっていった頃でもある。祖母殺害事件や金属バットで両親を殺害した事件も起こった。浮浪者狩りも起こった。殺しても反省がない。『殺す』ということにリアリティーがない。そして、80年代に校内暴力の嵐が吹き荒れた。校舎の窓ガラスを全部割ったり、卒業式もパトカーに来てもらったりなど、話題になった。しかし、80年代の初めに校内暴力が広まったとき、その原因はよくわからなかったのである。それで校則を強めたり、細かくした。生徒たちはそれに耐えられなくなる。そのストレスでいじめが増えた。中野区でも中野富士見中で鹿川君がいじめられ自殺した」。
 ある中学校を現場視察した汐見氏は、いじめのすさまじい実態を目の当たりにしたと言う。公立中学校から本学に入学してきた学生なら、ある程度実感としてわかるはずである。

子どものムカつき・暴力性が普遍化

 「教育問題御三家」と言われるものがある。「校内暴力」「いじめ」「不登校」である。
 その校内暴力は最近また急速に増えつつある。1990年には全国で3,090件だったのが、95年には5,954件、翌九六年には8,169件、97年には28,526件にものぼる。
 「ムカつき、イライラ、暴力性が普遍化している。それを私たちは受け止めなければならない」と汐見氏は語る。
 不登校も急速度に増えている。中学生は各クラスに一人以上の割合だ。

大人社会がおかしくなっている

 なぜこのように教育問題が深刻化しているのだろうか。汐見氏はこう断言する。「子どもは育てられる存在だから、子どもに問題があるということは、大人に問題があるのではないかと考えるべきである。大人の社会は健全で温かいが、子どもの世界は暴力的、などということはありえない」。
 確かにその通りである。子どもがおかしいのは大人がおかしいからなのである。林道義氏も著書『父性の復権』の中で、「戦中派」と「団塊の世代」までさかのぼって現代の子どもの問題を指摘している。
 また、最近は日本でも「家庭内暴力」が増えている。「家庭内暴力と言う場合は、だいたい夫が妻に暴力をふるうことを指す。これは特に米国がひどい。日本でも夫の妻への暴力が90年代に急速に増えてきた。最近、我が国で深刻になってきたのは、親が子どもに暴力をふるうことである。いわゆる『児童虐待』である。米国ではすでに50年代から起こり、60年代初めに医師が報告した」。
 「今から10年前に、『子どもに対する虐待』などという言葉が我が国で広まるとは思わなかった。社会全体が大きく変容してきている」と汐見氏は心配する。

ニヒリズムに陥る子どもたち

 最後に興味深いデータを挙げ、それについて解説した。
 ある民間の研究所が調べたものだが、世界各国の小学五年生の子どもに「成績」「正直」「親切」「勇気」などの項目で自己評価をしてもらった。すると、日本の子どもたちの自己評価が極めて低かったという。つまり、「我が国の子どもは、ありのままの自分に否定的で、自分はダメだ、と思っている」と汐見氏は言う。
 その理由を汐見氏は次のように分析する。
 第一に、家庭の文化が変質していること。体罰的暴力。評価の暴力。ほめ殺し(やさしい暴力)など。
 第二に、仲間集団がなくなってきていること。だから、自分の存在の意味がないと感じることが多い。本当に必要とされたことがない。そして「かったるいぜ」という気分になっていく。
 第三に、身体的影響もあるのではないか。食べ物やテレビ・携帯電話の電磁波などの影響もあるかもしれない。
 第四に、地球環境の問題がある。人類は昔、いつ死ぬかわからないから、救いを求めていた。現代人は、自分たちだけで生きていけると思っているから、「すがる」ということができない。傲慢になってきている。本当は救済されないといけない。救済されたいのである。だから、イライラしている。
 以上のように分析した後、最後に汐見氏はこうまとめた。「子どもたちはニヒリズムに陥っている。だから、そのニヒリズムと対峙できる『人生哲学』をもっと打ち出していかないと、子どもたちを救えない」。
 具体論は時間がなくて聞けなかったが、その「人生哲学」こそ、現代教育が最も必要としているものではないだろうか。汐見氏の今後の活躍に期待したい。

                    (誠&登)


「生まれ変わり」の人間観

 前号から西平直氏の「シュタイナー教育」についての公開講座の内容を紹介している。今回は、その続きで、シュタイナーの「人間観」を含めたシュタイナーの「思想」を紹介する。
 実際の講義では、時間が少なくて、かなり端折ったので、わかりづらい部分もあった。そこで、『シュタイナー入門』(西平直著)を参考にしながら補って紹介したい。

哲学を通し真理探究することが義務

 まず、シュタイナーの生涯から。
 1861年にオーストリア・ハンガリー帝国領(現在はクロアチア領)の小さな村にルドルフ・シュタイナーは生まれた。
 シュタイナーは、幼い頃から「霊的(geistig)な次元」に対して、かなり敏感だった。自分の見ている世界が、他人の見ている世界と違うことに気づいていたらしい。
 15歳の頃、こづかいをためて、カントの『純粋理性批判』を手に入れ、「節ごとに分けて教科書の中に隠し、授業中に読み続け」、徹底的に読み抜いたという。
 おそらく彼には、本気になって勉強すれば、専門的な訓練を受けていなくても、必ずわかるようになるという、自信のようなものがあったのだろう。西平氏は、そう推測する。
 シュタイナーは18歳で、ウィーン工科大学に入学した。将来は実業学校の教師になると決めており、生物学・化学・数学などを専攻した。しかし、関心の中心は、哲学・文学であって、奨学金をもらうために専門の勉強もしたが、ウィーン大学で聴講するほうが、よほどおもしろかったという。
 影響を受けたのは、ドイツ文学のカール・ユリウス・シュレーアー、ヘルバルト哲学を講じたロベルト・ツィンマーマン。そして、高名な哲学者フランツ・ブレンターノの公開講義であった。
 シュタイナーはこの頃、「哲学を通して真理を探究すること」を自分の義務と考え、「霊的世界を直接体験する霊的直感の正当性」について考え続けていたという。
 しかし、実生活では、人付き合いもよく、多くの友人の相談相手になっていた。また、その頃から、さまざまな「サロン」にも顔を出している。学生シュタイナーは、その中で、次々と多様な人々と出会っている。

超感覚世界を自然科学の方法で認識

 そうした学生生活を終えた後、20代後半の青年期にシュタイナーは何をしていたのだろうか。
 実に多彩であるが、まず、ウィーンの財閥シュペヒト家で、四人の男の子の家庭教師を務めている。この仕事を六年間続け、夏には一緒に休暇に出かけるほど、家族のなかに溶け込んでいた。その収入で生計を立てていたらしい。
 この家の末息子、10歳になるオットーは、脳水症の持病を抱え、読み書き計算もできない状態にあった。両親はその子の教育を諦めかけていたらしいが、シュタイナーはその教育を任されると、それこそ独学で、30分の授業のために二時間の準備をするほどの努力を続け、少年から全面的に信頼されるようになる。
 この経験を通して「教育と授業が、真の人間認識に基づくひとつの芸術になるべきことを悟った」という。これは、後年のシュタイナー教育の出発点になる。
 この時期の、もうひとつ重要な活動領域が「ゲーテ研究」であった。それは「ドイツ国民文学叢書」の一冊となる『ゲーテ自然科学論文集』の校訂と、その序文の執筆という、本格的なものであった。
 ゲーテの校訂をするということは、ドイツ語文化圏において、知識人としての資格を証明されたに等しい。その仕事を、弱冠20歳すぎの若者に任せるという、異例の抜擢であった。
 シュタイナーは1987年までに、全五巻を刊行し、その間に、最初の著作『ゲーテ的世界観の認識論要綱』を発表している。
 こうした仕事と並行して、シュタイナーは「霊的集中」を続けていた。「霊的集中」とは、少年の頃から体験していた「目に見えない世界・超感覚的世界・精神的(霊的)世界」についての集中的な観察である。
 神秘家も「目に見えない世界」を体験する。しかし、彼らはそれを理性によって捉えることはできないと言う。それに対して、シュタイナーは理性によって認識することが大切だと言う。つまり、超感覚的世界を自然科学の方法で認識すると言うのである。

睡眠や死も四つの組み合わせで解決

 ところで、シュタイナーの著作には「エ―テル体」「アストラル体」といった言葉が多く登場する。これは、「物質的な肉体」とは別次元の「体」なのである。
 シュタイナーの言う「人間本性の超感覚的構成要素」は四つである。「物質体」「エーテル体」「アストラル体」「自我(私)」(図1)。
 「エーテル体」とは有機体をひとまとまりに保つ生命の力。すべてのいのちは、それ独自のエーテル体を持つと言う。しかし、エーテル体は意識を持つことがない。
 では、「アストラル体」とは何かといえば、意識を持つ力。植物にはアストラル体がないが、動物にはあると言う。
 しかし、動物はアストラル体を持っても、「自我」は持たない。その「自我 Ich」とは何か。それは、物質体・エーテル体・アストラル体に対して働きかける位置にある。それは、もはや「体」ではない。超感覚的な実体。霊的実体であると言う。
 シュタイナーは、人間の体験する生理的現象を、この組み合わせから説明している。
 たとえば、睡眠。眠っている時、ベッドに横たわっている人間は、物質体とエーテル体を含んでいるが、アストラル体と自我(私)とは含んでいない。そう解釈する。
 また、「死」とは、〈物質体〉から、〈エーテル体十アストラル体十自我(私)〉が離れてしまう現象である。「臨死体験」といわれる現象は、いわぱ、一時的にこの状態を体験したものである、と説明する。

長いタイムスパンのライフサイクル

 シュタイナーの人間観は「生まれ変わり」の人間観である。人生を、死後との連続の中で見ないと、その本質が見えてこないというのである。
 では、シュタイナーは、そうしたライフサイクルを、どのように解き明かすのか。先の四つの構成要素の組み合わせによってである。
 シュタイナーによれば、物質世界における「誕生」は「母親の物質的な殻から脱皮すること」である。そして、ひたすら物質体の成長に集中するのが「第一の七年期」。それから、七歳の頃、エーテル体が殻から脱皮する。そこから「第二の七年期」に入って、今度はエーテル体の成長が中心的な課題となる。
 思春期の、およそ12〜16歳の頃、今度はアストラル体が殻から脱皮し、「第三の七年期」の時期、アストラル体の成長が中心になる。 そして、20歳過ぎにやっと「自我」が脱皮する。 シュタイナー教育のプログラムは、すべて、この七年周期を基礎にする。この発達の法則を見損なっては、いかなる教育的働きかけも成功しないと言う。
 やがて、死が訪れる。しかし、死という現象も、構成要素の組み合わせが変わるだけのこと。物質体がエーテル体と分離してしまうことに他ならない。
 死後も、図2のように成長のプロセスを経て再び誕生してゆく。
 つまり、こういうライフサイクルなのである。「魂(自我・私)」が三重の「体」を身にまとって、地上に生まれ、順に脱皮しながら成長し、成長し終えたところが、「この世」の折り返し地点。今度は順に三つの「体」が衰えて、死を迎え、順に「体」が魂から離れ、魂だけが純粋に残るところが「あの世」の折り返し地点。そして再び、魂が「体」を求め、物質体に宿ることによって、生まれ変わってゆくことになる。
 このように、長いタイムスパンの大きなライフサイクルを一つの説明原理で貫いてみせる。

人生は「魂」の成長のための修行の場

 すると、なぜこの地上にやって来たのか、が見えてくると言う。すべての「自我(私)」は、それまでの転生の歴史(魂のライフヒストリー)の中で、支払うべき「業」を背負っている。それは、他人に対する「借り」でもあれば、自分に対して償うべき「借り」でもある。そうした「借り」を返済し、成長のために必要な課題を果たすために、この地上にやって来る。
 つまり、人生には目的がある。各自が、それぞれ今世で果たすべき課題を持っている。肉体を持っている間に果たすべき使命を背負ってやって来ている。地上の人生は、「魂」の成長のための「修行の場」ということになる。
 「最終的には、すべての魂が磨かれていくという境地を目指している、と言っていいだろう」と西平氏は言う。
 さて、以上のような話を大学の授業で紹介すると、「先生、本気で話しているんですか」とよく質問されるという。
 西平氏は「この話が事実であるがどうか、それは問わないことにしたい」と語る。「私の関心は、そういった生まれ変わりの人生イメージが心理的・実存的にどんな意味を持つのか。また、それによって、人生がどう違って見えるのかということである」。また、「こういう人間観を持っていると、夜一人で考えている時や、おふくろが死んだ時など、少しホッとする」とも。
 「もし、シュタイナー教育を否定するなら、どういう人間観を背景にして教育するか、が問い返されるだろう。教育を語る時、必ず何らかの人間観を背景にしているはず」と、語気を強めた。
 西平氏のシュタイナー教育研究は、これまで唯物論をべースに教育論を展開してきた本学教育学部に新たな視点を加えるものとして高く評価したい。

                (誠&登)