Soccer新世紀 vol.8

第834号(2001年6月25日号)

 今回からは、過去サッカー界で活躍した選手を紹介していく。はじめは、FIFAが選ぶ20世紀最優秀選手にマラドーナと共に選出されたペレ。
 本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント=B意外にもペレという名前ではない。ペレ≠ニは幼少の頃呼ばれていたニックネームらしい。
 わずか17才にして1958年のスウェーデンワールドカップに出場し、その1次リーグの対ソ連戦でデビュー。続く準々決勝のウェールズ戦からはFWのレギュラーポジションを獲得。その試合で史上最年少となる初得点を記録すると、準決勝のフランス戦では後半だけでハットトリックする。決勝では後世に語り継がれる幻想的なゴールを挙げる。
 後半11分、ペナルティエリアで左からのクロスボールを胸でトラップしながら相手DFを交わし、さらにそのボールが地面に落ちる前に軽く蹴り上げもう一人のDFの頭上を越すと、すばやくそのDFの裏に回りこんで、強烈なボレーでゴールを奪った。試合終了寸前にも点を加え、ずば抜けた得点力を見せ付けた。
 その後、ペレは1962年、66年、70年と4度のワールドカップを経験。4回出場のうち、3回の優勝というペレの輝かしい記録も残っている。ブラジルのW杯優勝に3度も貢献した彼は、その才能の豊かさ、人間のものとは思えぬ群を抜いた創造力と技術力から、サッカーの神様≠ニ呼ばれ、世界中で慕われている。
 サッカーのエースプレーヤーが背番号10≠付けることもペレから始まった。ペレのW杯初出場のころ、まだサッカー界ではエースナンバーというものは存在せず、背番号はランダムに振り分けられていた。ブラジル代表であったペレに、たまたままわってきた番号が10=Bその大会でペレが世界に名を知らしめたため、ヨーロッパや南米の選手がこぞって10番をつけるようになったのがエースナンバーの始まりだそうだ。
 活躍し、巨万の富を得てからも、ペレは余裕ができると夜間学校に通い、小さい頃にできなかった勉強に打ち込んだり、現役最後の年の全収入を慈善事業に捧げたりした。ペレが世界中の人から神様≠ニ呼ばれ続け、愛されるのは、彼もまた人々を愛し、サッカーを心から愛する人間であるからなのだろう。


Soccer新世紀

851号(1月25日号)

848号(12月15日号)

845号(11月15日号)

838号(8月25日号)

834号(6月25日号)

832号(5月25日号)

829号(4月25日号)

826号(3月25日号)

823号(2月5日号)

821号(1月15日号)

818号(12月5日号)

816号(11月15日号)


834号記事一覧へ