838号(2001年8月25日号)

駒場寮廃寮への軌跡

10年にわたる対立終焉へ

 22日、旧駒場寮明け渡しの強制執行が行われ、67年の幕を閉じた。91年に廃寮が発表されて以来、10年もの間学部と学生自治会との間で難航してきたこの問題は、ようやく終息に向かうこととなった。その駒場寮の廃寮が決定した時からの軌跡をたどってみる。

1991年当時の駒場寮
新宿舎の建設決定

 そもそも駒場寮廃寮の話が出たのは、91年10月、教養学部の評議会であった。ここで三鷹寮敷地に留学生との混住の学生宿舎を建設することが決定したのに伴い、駒場寮の廃寮が事実上決定したのである。駒場寮廃寮の理由として、当時教養学部は次の三点を挙げた。第一に、急増する留学生の宿舎の問題、第二に学生定員増にともない駒場キャンパスが手狭になったこと、第三に駒場寮・三鷹寮のはなはだしい老朽化である。当時、3万uにのぼる三鷹寮の敷地には、寮生約80名しか住んでいない状態であり、国有地有効利用の観点から、早急にその効率的な使用計画を明示する必要に迫られていたことが、この背景にあった。
 これら四つの問題の解決とともに、従来の新新寮案(文部省提案)の制約を緩和する方策を探求した結果、留学生と混住の国際学生宿舎を建設することになったのである。
 その基本構想は、規模は収容能力約1千名で、教養学部学生と外国人留学生の混住とし、その比率は7対3、いずれも女子を含むものとした。これに加えて設備の充実や、大学が管理責任を負うことなどが盛り込まれ、最後に、年次計画の進行にともなって三鷹寮・駒場寮は順次廃寮にすることが定められていた。このころから、一部学生の間で反対運動が起こり始めた。

アンケート実施

 この新たに計画された三鷹国際学生宿舎の建設問題について、同年12月に学部側が学生へのアンケート調査を行い、その結果を翌91年1月に公表した。これによると、学生の7割以上が宿舎の建設計画の推進に賛成の意向を示しており、宿舎の形態についても学部案を評価する意見が圧倒的に多かった。
 学部側もそれまでは「学生の強い反対があるならば、予算要求中止も考慮する」という態度を示していたが、このアンケートによって多数の学生の支持が得られたため、具体的な作業の推進を表明した。
 学生自治会などは、新寮建設の場合には「駒場寮廃寮を前提としないこと」「経済的困窮者への配慮」を要求していた。しかし学部側は駒場寮廃寮について、駒場寮の老朽化や維持費などの理由からこれを不可避であるとした。

三鷹国際学生宿舎の完成

 同年10月には起工式が行われ、翌年93年の6月から第1期工事完成分が入居可能となった。入寮選考は学部側が行った。部屋はそれぞれ個室で、ほぼ13u(約8畳)を占めており、バス・トイレユニットや冷暖房機なども設置されている。また各フロアは平均15室ずつのブロックに分けられており、各ブロックごとに20u強のラウンジが設けられているので、ブロックごとの仲間意識を醸成し、日常的な交流を促進することができる。現在留学生を含め1千名ほどの学生が寄宿している。

CCCL計画

 そして駒場寮跡地には、新しい課外活動施設、スポーツ施設、国際交流会館、カフェテラス、劇場、美術館などを含む新たな創造的学園生活の中心を創成し、駒場をより活力と魅力に溢れたキャンパスへ再開発していくという構想が形づくられていた。これをCCCL(Center of Creative Campus Life・トリプルシーエル)計画という。

廃寮反対運動の高揚

いまだに駒場キャンパスに
残る、廃寮反対の立看板
 このころから廃寮に反対する学生たちの活動が活発になる。学友会や駒場寮委員会によってしばしば反対意見が訴えられた。その後も学友会学生理事会などが学部側の特別委員会と交渉を重ねたが、同年11月にはストライキが決行され、その後交渉は一向に進まなかった。その後も工事現場で悪質な妨害行為が行われたり、電力の供給を停止された寮生が盗電行為を行うなど問題行為が繰り返されていた。

駒寮問題法廷へ

 97年2月、国が寮内に残っている学生と同寮自治会を相手取り、駒場寮の明け渡しを求める仮処分を東京地裁に申請。駒場寮問題はとうとう法廷に持ち込まれることになった。10月に国は「北寮」と「中寮」の明け渡しを求める訴えを起こし、この仮処分によって「明寮」の跡地にサークル棟が立てられることになった。最終的に判決が出たのは2000年3月28日。東京地裁(藤村啓裁判長)は国側の請求を認め、寮生らに明け渡しを命じる判決を言い渡したのである。寮生側は「入退管理など多くが慣行として自治会に任されており、大学側が一方的に明け渡しを求める権利はない」と反論していたが、判決で裁判長は「寮は国有財産で、法的に寮の管理権を持つ学長が廃寮を決定したことで、寮生は占有する根拠がない」とし、国の主張を認めた。2001年5月には東京高裁が寮生らの控訴を棄却した。

強制執行

 これにより学部側の勝利は決定的なものとなった。同年7月には学部長と寮生らとの交渉で、古田教養学部長が「7月27日までに退去を」と期限を設定、8月8日には駒場寮の周辺にフェンスを設置した。そして運命の日、8月22日。台風の到来で激しく雨が降っている中、教職員、ガードマンら約570人が動員され、旧駒場寮明け渡しの強制執行を実行。混乱も心配されたが、予定通り寮生らは全員退去した。これにより、約10年にわたって繰り広げられてきた対立は終結し、67年にわたる駒場寮の歴史は幕を閉じることになったのである。

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